そのまま、キラキラしておいて

弟と一緒に、ファミリーセールというものに初めて足を運んだ。正規の販売ルートで買えばそこそこの値段がするスポーツアパレルのブランドでのセールなのだけど、弟に届けられた招待ハガキは、上野の現金問屋が処分市を開くかのような、青地に蛍光黄文字のビジュアルだった。

会場の雰囲気もハガキと似たり寄ったりで、かなりサイズや色に偏りのある商品が催事用のワゴンに積み上げられ、人々がせわしなく手にとっては適当にワゴンに戻している。原宿の路面店だったらあんなに丁重に扱われていたのに。美容室で手にするファッション雑誌のなかではあんなにキラキラしていたのに。立派なものであると印象付けるためには適切なお作法や振る舞いが必要で、それらをかなぐり捨てたナイロンバッグとパーカーは、Made in Vietnamのタグが生々しく迫ってくる。

電車の中で読む本が切れてしまったので、学芸大学駅前の本屋で宮部みゆきの『誰か』を買う。

義父はよくよく知り抜いているのだから。具体的な事象を離れて鳥瞰したとき、「何があったか」ではなく、「どのように見えるか」ということの方に心を寄せてしまう、世間というものの気まぐれさを。

という一節があって、昨日、銀座で見かけた、ものすごい剣幕で怒っている女性のことを思い出した。