ジムの帰りに、学芸大学駅前の八百屋で桃を買った。
3個で600円、今の稼ぎを考えると贅沢品なのだが、これも芸の肥やしだと、自分に言い訳をして財布を開く。

 

10年前の夏、僕は京都の駿台で浪人生活を送っていて、教室に詰め込まれた100人の同類を前に、現代文の講師が桃への熱い思いを語っていたことを思い出す。
「私はね、桃がすごい好きで、夏になると、毎日1個食べるんですよ。割れ目に沿って包丁を入れて、手でくるっと回すと半分に割れるんです。毎日桃を食べるなんて、皆さんからみたら贅沢だと思うでしょ。でもね、1個100円、これが自分へのご褒美なんですよ」

 

進学校を卒業したばかりの当時の自分は、そもそも予備校の講師という仕事を馬鹿にしていたし(受験を突破するためのノウハウの伝授に人生を捧げるなんて、と本気で思っていたのだ)、発言から垣間見える講師の小市民的ぶりに、苛立ちに近い感情すら抱いた記憶がある。先生、人生それでいいんですか。

 

あれから10年、29歳になった僕は、築40年のワンルームマンションで桃の割れ目に包丁を入れる。桃に喜びを見出す日常に、そして、その桃すら買うことを躊躇してしまう現状に、こんなはずじゃなかったのにと思いながら、桃を食べている。